広島の名門・広陵高校野球部が2回戦以降の甲子園出場を「辞退」すると発表し、話題になっています。
その中で広陵高校OBであるオリックス・福田周平選手の高校時代の神エピソードがSNSで注目を集めています。
今回は、
福田周平選手の広陵高校時代の神エピソード
について調査していきます。


福田周平選手の広陵高校時代の神エピソードがYoutubeコメント欄に
広島県の名門である広陵高校野球部は部内の暴力や私的制裁の慣習があったされ、広陵は2回戦以降の甲子園出場を「辞退」すると発表しました。
この件を受けて、広陵OBであり、福田周平選手の後輩を名乗る人のYoutubeへの書き込みが話題になっています。

出典:X
広陵OBで福田さんの後輩です。
福田さんは三年生の中で唯一、理不尽な上下関係から後輩を守ろうと他の全三年生敵に回して口論してた人です。
「理由もなくこいつらしばくなら俺をしばいてからやれよ」
あのイカれ腐った上下関係のなかで福田さんが持っていた男気と優しさは一生忘れません。
あなたは神様です。
悪しき慣習の断ち切るために1人で立ち向かっていた福田選手の意思の強さや人間性の高さは素晴らしいものだと思います。

福田周平選手の広陵時代の神エピソード3選
広陵OBであるオリックス・福田周平選手の高校時代の神エピソードがSNSで注目を集めています。
福田周平選手の広陵時代の神エピソードは以下の通りです。



福田周平選手の広陵時代の神エピソード①:「まず俺を倒してからにしろ」
福田周平選手の広陵時代の神エピソード1つ目は【「まず俺を倒してからにしろ」】です。
後輩に暴行しようとした同級生に対し、一歩も引かず
「理由もなくこいつら殴るなら、まず俺を倒してからにしろ」
と真正面から止めたという勇気ある一幕があったそうです。
福田周平選手の広陵時代の神エピソード②:「靴磨きは自分でやれ!」
福田周平選手の広陵時代の神エピソード2つ目は【「靴磨きは自分でやれ!」】です。
後輩に靴磨きを強要する同級生へ
「靴磨きは自分でやれ!」
と一喝して後輩を守ったというエピソードもありました。
DeNAの佐野恵太選手は広陵高校時代、福田周平選手2年後輩だったそうです。
福田周平選手の姿を見て佐野恵太選手も部内の暴力や私的制裁の慣習廃止に大きく関わったとされています。
福田周平選手の行いは後輩にも受け継がれているようです。
福田周平選手の広陵時代の神エピソード③:誰も反論できなかった気迫と意志の強さ
福田周平選手の広陵時代の神エピソード3つ目は【誰も反論できなかった気迫と意志の強さ】です。
高校では2年秋から主将を務め、3年春夏は甲子園に「1番・二塁手」で出場。
小柄ながら、味方を引っ張るリーダーシップを発揮していました。
福田周平選手の気迫から反対する者はいなかったそうです。
オリックスでは2年目(2019年)に主将に就任しました。
のちに制度廃止もありましたが、その背景には福田選手の強い信頼とチームへの影響があったと伝えられています。



福田周平選手のプロフィール
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生年月日:1992年8月8日(現在33歳)
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出身地:大阪府阪南市
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身長/体重:167 cm/65 kg
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投打:右投左打
福田選手は、2017年にオリックス・バファローズから3位指名でプロ入りをしました。
2018年4月8日(オリックス・バファローズ)にはNPB初出場されています。
福田周平選手の学歴と野球歴
小学生:阪南市立上荘小学校/上荘ドラゴンズ
福田選手は、実兄の影響で7歳から「上荘ドラゴンズ」で軟式野球をスタートさせました。
小学5年生の春には阪神甲子園球場での高校野球決勝を観戦し、広陵高校の優勝に感銘を受け、「いつかここでプレーしたい」と強く希望するようになったそうです。
中学生時代:阪南市立鳥取中学校/泉南ボーイズ
中学では「泉南ボーイズ」に所属し、硬式野球の基本と競争心を身につけました。



3. 高校時代:広陵高校
広島の名門・広陵高校に進学し、2年秋には部活の主将に就任しチームを牽引しました。
春甲子園では 打率.429・2盗塁の活躍で準決勝進出を果たしましたが、夏は初戦敗退となりました。



4. 大学時代:明治大学(商学部)
明治大学では2年時からレギュラー(二塁手)として活躍し、春季リーグ打率.321でベストナインに初選出されました。
3〜4年時には不動の正遊撃手として活躍。
3年春・秋にはリーグ盗塁王を連続で獲得し、3年秋は打率.362・6盗塁の好成績で再びベストナインに選ばれました。
明治神宮大会では準優勝を経験し、大学日本代表の主将を4年夏に務めました。
大学リーグ通算は76試合出場、打率.288、三振わずか17(313打席中)というバットコントロールの高さが光りました。



社会人時代:NTT東日本
福田選手はNTT東日本入社後、1年目から正遊撃手に定着しました。
2年目(2016年)の都市対抗野球では、11打数6安打・7打点と好成績を収めています。
2017年にはチームを都市対抗優勝に導き、打率も高く、橋戸賞を受賞。
さらにアジア選手権では日本代表としても活躍しました。
まとめ
今回は、福田周平の広陵時代の神エピソードやばすぎた!悪しき慣習に1人で立ち向かっていた!についてまとめました。
福田選手の後輩を守るキャプテンの勇姿がネットで再評価されています。
小柄ながら誰も逆らえなかった気迫に称賛の声 が集まっています。

